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第15ホネ
: 「シティ・ライフ」 |
2006/12/24 |
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シティ・ライフとは以下のことである。
●人ごみに疲れたら逃げこめるカフェがある。それも早い時間。(自分が煙草を吸いたくないとき、もしくは自分が(テンポラリーな)禁煙期間にあるときのために分煙であること。)
●リフレクソロジスト、ネイリスト、ヘア・スタイリストは決まった人間を指名する。(彼女たちに「実は今月いっぱいで田舎に帰るんです」と言われ「この先、自分の足や爪や髪は誰がどうしてくれるんだ?」と路頭に迷ったことは一度や二度ではない。)
●フィットネス・クラブの会員である。(とうとう先月は一度も行けなかった。)
●どのデパートの何階にウォシュレットのトイレがあるか熟知している。(水と石鹸は自動で出てくるほうがよいが、二つの距離が近すぎると、同時に出てしまうので不可。)
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●地下鉄の駅の階段の位置をつぶさに把握している。(文庫本かペーパーバックか縦に二つ折りした新聞を読むため、座席を確保するのにはけっこう真剣になる。)
●乾燥機に頼りがちである。最後に洗濯物を日に干したのはいつのことだろう?(だからと言って食器洗浄器までは買う決心がつかない。)
●近所の猫はエイズである。(マタタビに溺れぎみでもある。)
●五時間以上眠ると決まって悪い夢を見る。(睡眠薬を欠かさず処方してもらう。)
●定期的にデンタル・クリニックに歯石を落としに行く。(歯科医には矯正も勧められている。「裏側からのブリッジなら目立ちませんよ」)
●ボスと飲みに行って仕事の話→自慢話→仕事の話→説教→仕事の話というおぞましいローテーションの話を聞かされる。(なお、ボスは「シングル・モルト」の意味が解っていないが、そこにはあえて触れないようにする。)
●カミング・アウトしているゲイの友達が五人以上いる。(うち最低一人とは肉体関係があるか、もしくは危ういところであった。)
●まだ「レオン」を読む年齢ではない(と自分で思っている)が、ついつい「Gainer」を読んでしまう。(しかも、中途半端に実践してしまう。):女性であれば「ニキータ」と「25ans」がそれに相当する。
●二回目のデートからはカルヴァン・クラインの下着を穿いて出かける。女性であればそれに相当する、シンプルであまり卑猥でない下着。(生理時にはこの限りでない。)
●コンドームはいつも着ける。(ラテックス製が望ましい。)女性から見ても同じ。
●最寄り駅から自宅までついついタクシーを使ってしまう。(初乗りでもカード使用。)
●「アメリカの鱒釣り」はよくわからないが、みんなが良いと言うので賛成している。(「ロスト・イン・トランスレーション」やストーン・ローゼズのファーストも。)
●定期的にユードラをチェックする。(だが、生身の人間からのメールは少ない。)
●コーヒー豆と紅茶の葉は決まった店で買う。(店主は頑固である。)
●家電リサイクル法か、道路開通に伴う都市再開発か、駐車違反取締民間委託か、最低いずれか一つには反対である。(だからといって、署名活動をするほどではない。)
●ガス・ステーション的に元気を供給できるカジュアルなバーを知っている。
(店名が覚えにくかったりする。)
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第14ホネ
: 「キューバ リブレ」 |
2006/09/14 |
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| ライムはもともとはインドやミャンマー原産の果実と言われるが、フィリピンなどの太平洋諸島にも広く分布する。そして、この酸味の強い緑の果実は古くからアラビア商人たちの手によって、シルクロードを通って地中海地方にももたらされていた。さらに時を経て、16世紀大航海時代。スペインやポルトガルの探検家たちは地中海産のライムを大量に船に積み込んでアメリカ大陸へと持ち込んだ。ライムはビタミンCが豊富で、壊血病の予防に役立ったためであろうと思われる。以来、西インド諸島やメキシコ、カリフォルニアなどでも盛んに栽培が行われている。
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さて、17世紀初頭、何人かのイギリス人ディスティラーたちが大西洋を渡り、カリブ海西インド諸島バルバドス島へ上陸した。そして、彼らはモルトでもトウモロコシでもなく、土着のサトウキビを使って蒸溜酒をつくることに成功する。これがラムの起源といわれている。以来、ラムは船乗りの酒として、海の上でも陸の上でも愛され続けている。
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時は変わって、1886年5月。アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ。薬剤師ジョン・S・ペンパートンは薬剤の調合実験中に、期せずしてある液体をつくりだすことに成功する。コカの葉とコーラー・ナッツを原料とした甘苦く黒い液体。こんなものが美味しいなんて。これに目をつけたのが、税理士フランク・ロビンソン。彼はその新奇な黒い液体を「コカ・コーラ」と名づけ、街角のソーダファウンテンで販売し始めたのだ。当初コカ・コーラは原液を水で薄めて販売していたのだが、ある日、あるソーダファウンテンの店員が誤って炭酸水で割ってしまった。そして、偶然にもそれはきわめて爽やかで刺激的な飲み物となった。以来、コカ・コーラは世界で最も人気のある炭酸飲料として人々に親しまれるようになった。
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1900年、夏。あるいはそれ以前のことかもしれない。とにかく、米西戦争を経てキューバが独立を確保するよりも少し前のこと。今となっては嘘のようだが、当時はまだ蜜月関係にあったアメリカとキューバとの友好を記してつくられたカクテルがあった。アメリカを象徴するコカ・コーラ、キューバ特産のラム、それにその頃までには新大陸にすっかりと根づいていたライム、これらからできあがったカクテルをスペイン語で“クーバ・リバー”、英語で“キューバ・リブレ”と呼んだ。“Viva
Cuba Libre!”はキューバ独立のスローガンであった。
1903年8月、コカ・コーラ社はそれまでのレシピを変更し、原料に使用するコカの葉を脱コカイン処理するようになった。コカ・コーラによってコカイン中毒になったという少年のケースが、法廷で医師によって証言されたためだ。コカ・コーラ社は「コカ・コーラには一度もコカインは含まれていたことがない」とこれまで一貫して主張している。そして、一世紀を経た今でもこの事実には一切触れようとはしない。
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1959年。カストロとチェ・ゲバラに率いられた革命軍はバチスタ政権を倒し、キューバ革命を果たす。社会主義路線を歩み始めたキューバは、アメリカとの間に深い溝をつくることとなる。1962年にはソ連のミサイル配備によりキューバ危機が起こり、冷戦が核戦争へと発展してもおかしくはない一触即発の状況となる。こうして“キューバ・リブレ”のコカ・コーラとラムは相容れないものとなってしまったのである。
1989年にソ連が崩壊し、冷戦は終結した。しかし、アメリカとキューバの国交はいまだに途絶えたままである。2000年にはEUの欧州委員会において、「ハバナ・クラブ」の商標がアメリカのキューバ制裁関連法によって商標保護を受けられないのはWTOのルールに違反しているとして提訴がなされまでした。かつての友好の証としての“キューバ・リブレ”はもはやどこにも存在しない。今、僕が平和惚けしたトーキョーで飲んでいるこれは、コカインもイデオロギーも抜きのただの美味しい“キューバ・リブレ”である。
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第13ホネ
: 「High Tea」 |
2005/07/28 |
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エディンバラには美食というものは存在しない。貧乏ならばなおさら。94年はまちがいなく僕がいちばんスリムだった年だ。留学二日目にはさっそくに、日本からお茶漬け海苔と梅干を持って来なかったことを激しく後悔し始めていた。
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僕たちのランド・レイディ、ミス・シャーマンは小太りの未亡人で、若い頃には教師をしていたそうだ。それなりに手入れされた庭のある家に独り暮らしをしていて、週末には二人の息子が帰ってくることもある。そういうときは、僕たち外国人留学生は部屋を追い出される。いずれにせよ、僕たちはあまりそこには居つかない。
ミス・シャーマンの食卓には肉類はいっさいのらない。朝の食事はシリアルかトースト。育ち盛りの僕たちは、カロリーを補おうとたっぷりとジャムをすくいとる。ランチにはコレッジのカフェテリアで青リンゴとサンドウィッチを買い、セヴン・アップを飲む。ディナーは午後4時。それまでにシャーマン家に帰らなければ、僕たちは食事にはありつけない。きまって、ゆでた野菜とジャガイモ。もしくは野菜のカレーと米。ディナーのあと、毎晩僕たちは街のパブへとくりだしてギネスを飲み、誰かの買ったフィッシュ&チップスをつまみ、拙い英語で下らない話をして、夜11時の最終の二階建バスで帰って来る。
けれど、僕はあの週は節約をしなければならなかった。その週末にはネス湖へのツアーがあり、クラスのイタリア人の女の子たちはみんなネッシーを見つけに行きたがっている。こんなチャンスなんて、またとはない。僕はどうしてもディオニシアと仲良くなりたい。
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木曜の夕方、ルーム・メイトのアンヘルが「ラガーを一杯おごるからパブに行こう」と巻き舌の凄まじい英語で僕を誘う。アンヘルはマドリッドの銀行員で、バカンスを兼ねて留学に来ている。余裕があるのだ。「アンヘル」と僕は言った。アンヘルの「へ」はどう発音していいのかいまだにわからない。「僕はお金がないから部屋に残って読書でもするよ」
実際、アンヘルのいない静かな部屋で、僕は読書をしようとした。でも、ジェフリー・アーチャーのミステリーはちっとも僕の頭に入って来ない。僕はすぐにディオニシアのことを考え始めた。ディオニシアの黒髪。ディオニシアの白い肌。ディオニシアの笑い声。
突然ノックが聞こえて、ビクッとした。午後八時頃にミス・シャーマンが現れて、「High Teaよ」と言った。僕は何のことか解らず、でも、とにかくダイニングへと出て行った。テーブルの上には紅茶とパイ、ドライ・フルーツとマッカランのボトルが置いてある。
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ここでは、”tea”は紅茶を意味するのではない。パイもイチジクもマッカランもすべて含めて”tea”なのだ。僕は”tea”を楽しんだ。僕はミス・シャーマンに週末のツアーとディオニシアのことを話した。もちろん、そのために節約していることも。「ああ、だから今週あなたは一度もパブに行かなかったのね」とミス・シャーマンは言った。「今のあなたに必要なのは、マッカランと実りあるおしゃべりよ」
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| エディンバラには美食というものは存在しない。そこにあるのは”tea”、すなわちマッカランと実りあるおしゃべりだ。
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第12ホネ
: 「ジャコモ」
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2005/05/31 |
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チャーチルダウンズのエプロンに立って、ミント・ジュレップを飲みながら自分の馬を応援するのが僕の夢だ。ミント・ジュレップはケンタッキー・ダービーのオフィシャル・ドリンクで、バーボン・ソーダにミント、シロップ、クラッシュト・アイスを加えたビルド・カクテルだ。ケンタッキーの地ではきっとそれが砂埃に乾いた喉を心地よく潤してくれるのだろう。
けれども、夢というのは現実とかけ離れているから夢なのである。現実の僕と言えば、湿度高い東京競馬場の一般スタンドできねうちめんのスープを飲みながら日本ダービーの馬券を検討している。きねうちめんは東京競馬場の名物で、ラーメンとうどんの中間のような不思議なヌードルである。美味いかと訊かれれば、「けっこう美味いよ」と答えるが、さすがにオフィシャル・フードとまではいかない。
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さて、第131回のケンタッキー・ダービーを制したのはまったくの無名馬ジャコモである。ジャコモはA&Mレコードのジェリー・モスの生産・所有馬であり、彼の親しいミュージシャンであるスティングの息子の名にちなんでいる。
ジャコモはケンタッキーを制すまでは、未勝利戦以来3着までにも入ったことすらない1勝馬であった。当然、単勝51.3倍と人気はふるわない。単勝2.5倍の1番人気はニューヨーク・ヤンキーズのオーナーでもあるジョージ・スタインブレナーが所有するベラミーロードだった。
ベラミーロード以外にも、ニック・ジートの管理する馬たちが上位人気を形成し、今年のケンタッキー・ダービーも堅い決着が予想されていた。それだけに、最後の直線は衝撃的だった。内に突っ込んで6頭、そのあと大外に持ち出して9頭、合計17頭のゴボウ抜き、さらに直線まで息を抜かせないスミスの風車ムチ。
2分2秒75。平凡な勝ち時計からは、逆にこのレースのタフさがうかがえる。3連単は6万6567ドル80セントの高配当。4連単にいたっては的中者たったの一人、その配当は85万ドル。一度でいいから、僕もそんな馬券を的中させてみたいものだ。
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さあ、日本ダービーの発走が迫っている。そろそろ予想を決めねばならない。ダービーに馬柱は不要。競走成績も馬場も馬体重も枠順もいっさい関係ない。僕のダービーの予想は「いちばんハートのでかい馬」を選ぶことである。パドックをよく眺め、馬の息遣いを嗅ぎ、心臓の鼓動を聴きとる。今日の東京のジャコモはどの馬だろう?
首尾よく馬券を的中させたなら、今夜はうまいミント・ジュレップを飲むことにしよう。惜しくも馬券が外れたなら、そうしたら、うまいバーボンをストレートで飲むことにしよう。 |
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第11ホネ
: 「EDRADOUR」
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2005/03/11 |
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EDRADOURはスコットランド最小の蒸留所だ。そのラベルには「もしかしたら世界最小の蒸留所かもしれない」といいかげんなことまで書いてある。真偽のほどはわからない。スタッフ数はわずか3名。スチルの大きさはスコットランドの法律が許す最小の規模。(冗談のようだが、これより小さいスチルは密造を防ぐために禁止されているのだ。)蒸留されるのは、週わずか12カスクのみ。 |
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1800年代半ばにウィスキーづくりが合法化される前にも、ハイランドPerthshireの農場でウィスキーがつくられることは珍しくなかったようだ。
しかし、ほぼ当時のスタイルを守り、今もウィスキーづくりを続けているのはこのEDRADOURのほか数えるほどにちがいない。この丘の狭間の小さな蒸留所は、その動力を水車から電気へとかえたほかはすべて昔ながらの製法を守り続けている。
EDRADOURはBen Vrackieという小川から採水をしているが、それは付近の泥炭地から溢れ出す鮮烈な湧水の流れといってもよい。EDRADOURの語源はゲール語の“edred
dobhar”に由来するそうだ。これは英語の“between two waters”を意味する。実際は二つといわず、あたり一帯が水源そのものなのだ。
毎年、スタッフが実際にスペインに赴き、オロロソのシェリー樽を買いつけてくるというのも、素朴で好感の持てる話だ。しかし、EDRADOURのフィニッシュは単にシェリーのそれではなく、もっと複雑でほろ苦さを感じさせる。ちまたの評論家のテイスティング・ノートには「化粧水のようだ」と喩えらていることが多い。
僕がEDRADOURを初めて飲んだときに感じたのは、紛れもない「ヘチマ水」の味と香りだった。いや、それよりやや化学的で華やかな味かもしれない。まさに、湯上りの肌にヘチマ水をつけた、成熟した女性の頬の味がする。EDRADOURを飲んだ僕がカフェのソファで妄想したのはそんなイメージだ。
背の高い旧ボトルの頃にはもっとクリーミーな味がした。大手シグナトリー社に買収された後に発売された、ずんぐりとした新ボトルにはがっかりだ、というモルト愛好家も数多くいるようだ。しかし、僕にはこれは一つの個性だと思える。ヘチマ水をつけた若妻の味。悪くないじゃないか。
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第10ホネ
: 「Redhook」
2005/02/14 |
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そもそも「バラードという街」のインスピレーションは、マイケル・ジャクソン著の『世界の一流ビール500』のRedhookの欄にシアトルの企業家ゴードン・バウカーの名前を見つけたことから生まれました。ゴードン・バウカーは、かの有名なStarbucks
Coffeeの創設者でもあります。
このストーリーを書き始めるにあたっては当然、Starbucks CorporationとRedhook Brewing Companyのホームページをチェックしました。それから、その他のサイトや本や雑誌などでも調べものをしました。取材の過程で、今回は特にたくさんのおもしろいことに出逢えました。なかでもおもしろかったのが、名前の由来に関することです。
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Redhook Brewing Companyに取材のeメールを送ったのですが、その返信メールのなかでRedhookの名前の由来を明かしてもらえたのです。デイヴィッド・マイケルスン上級副社長兼CFO兼COOはそのメールのなかで、これは彼自身が創設者ゴードン・バウカー氏に直接聞いた話だ、と前置きして語り始めました。
バラードという地区はシアトルの漁村で、その住民のルーツはスカンジナヴィア系移民だそうです。彼らは漁業をなりわいとし、鮭とエスプレッソを糧としました。往時、バラードでは大量の鮭の缶詰がつくられたとのことです。その鮭の缶詰はどの缶もきまって赤い色をしていたそうです。このことから鮭の缶詰自体を”red”と呼ぶようになりました。つまり、Redhookの名前の由来は”red”を釣り上げる釣り針”hook”ということのようです。バラードという漁村とその漁民たちに深く根づいたビールをつくりたいというゴードン・バウカーの強い願いが伝わってくるような気がします。
ついでに言えば、ゴードン・バウカーのもう一つの大企業Starbucksのほうは、ご存知の方も多いと思いますが、これはハーマン・メルヴィルの『白鯨』の登場人物、スターバック一等航海士にちなんで名づけられています。
もうひとつ、バラードという地区は、ウィリアム・ランキン・バラード船長から名づけられています。『白鯨』のエイハブ船長は狂気の人ですが、ウィリアム・ランキン・バラード船長は尊敬すべき開拓の祖の一人として歴史に名を残しています。バラード。バラードという街の名は美しいと思いませんか?
ところで、Redhookは僕のお気に入りのビールです。「バラードという街」のラスト・シーンは、もうひとつ違うヴァージョンを考えていました。それは、「僕」が「彼女」を置いてスターバックスを出ていってしまい、独りバーのカウンターでRedhookを飲むというものです。いずれにせよ、僕はこれを書き終えたので今からRedhookを飲みに出かけます。
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第9ホネ
: 「Raise
High Tom Collins, Bartenders」 2005/02/01 |
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僕がトム・コリンズを飲みたくなるのは、決して暑い夏の日ではない。
今日のようにひどく寒い木枯しの日だ。 今日は、その話をしようと思う。
高校一年生のまるまる一冬を、僕は図書室にこもりきりで過ごした。
その冬、僕は十六歳で、いくらあたりを見回そうと、どこにも自分の居場所が見つからなくて、そして何も自分のすることが見あたらなかった。
図書室で独りJ.D.サリンジャーの全集を読みふけるほかには。 |
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サリンジャーは極めて寡作な作家―――まるで、ゴーストのよう―――なので、全集を読破するのにそれほどの時間を要するわけではない。でも、僕はゆっくりゆっくりと、初期の頃の短篇から順に読んでいった。小さな図書室の古ぼけたストーヴのそばで。
「大工よ、屋根の梁を高く上げよ(Raise High the Roof Beam, Carpenters)」がどんなストーリーだったのかを定かに思い出すことはできない。僕がはっきりと心に刻んでいるのはそのストーリーではなく、それを読んでいたときの図書室の空気そのものなのだ。
あの夕暮れの図書室の景色は、今でも僕の脳裏に浮かびつづけている。図書室の本たちはひどく埃ぽくて、僕の喉はひどく渇いていた。ストーヴにいちばん近い暖かい席。僕はそこから一歩たりとも動きたくはない。
寒々とした長い渡り廊下を隔てて、図書室のある離れ棟は学校の裏手に位置する。生徒たちはあまりここにはやって来ない。図書室にいる生徒は僕ひとりだけ、ということもよくあった。ささやかだけれど、そこは僕の居場所だった。
木枯しが窓をカタカタと鳴らす。僕はきしむパイプ椅子に腰かけて、暖かく乾燥した図書室の隅で、少し顔を上気させながら「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」を読んでいる。それは、暑い夏の日の物語。登場人物たちはみなトム・コリンズを飲んでいる。十六の僕は、トム・コリンズがどんなカクテルかを知らない。ただ、なぜかそれはとても魅力的な飲み物のように思えた。僕の喉はそれを確かに求めていた。
長い時間が経って、僕はもう自分が十六のときに感じていたことを半分も思い出せない。でも、今も僕がトム・コリンズを飲みたくなるのは、決して暑い夏の日ではない。今日のようにひどく寒い木枯しの日だ。ひどく、渇くような気がしてならないから。
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第8ホネ
: 「樽について」
2004/11/16 |
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モルトの熟成に使われる樽はオーク材でつくられている。
日本ではオークスに勝った三歳牝馬を「樫の女王」と呼んだりすることから、「オーク=カシ」と思われがちである。
しかし、樽に使われるホワイト・オークは日本のミズナラに近いものである。英語のoakは広くブナ科の広葉樹を指す語であるが、少なくとも樽材に関して言えば「オーク=ナラ」という認識のほうが正しいように思われる。
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さて、そのオーク樽であるが、これにいきなりモルト・ウィスキーをつめるのではない。
アメリカ合衆国はケンタッキー州で一度ばらされたバーボン樽が大西洋を経てはるばる運ばれ、そしてブリテン島の北、スコットランドで組み立て直されてからモルト・ウィスキーの熟成に使われるというのがパターンである。「ファースト・フィル」というが、それはあくまでその樽にとっての最初のモルト・ウィスキーであるいうことであって、実はその前にバーボン・ウィスキーがフィルされていたのである。また、セカンド・フィル、サード・フィルのモルト・ウィスキーはバーボンの風味が薄れ、よりモルトそのもののプレーンな個性が出る。
ミズナラの新樽を使うのはジャパニーズ・ウィスキー独自の製法である。
バーボン樽以外にも最後の一、二年だけ風味をつけるためのフィニッシュとして様々な樽が使用され、このことがどうも現在のブームに火をつけているようにも思われる。
シェリー樽仕上げの代表といえば、やはりMacallanであろう。 しかし、新発売のFine Oakは十分にシェリーの香りがしない。とても残念である。
また、今年の夏から日本でもディストリビュートされているBowmore Duskはボルドーの赤ワイン樽で、同じくBowmore Dawnはポートワイン樽を使って、2年以上熟成させている。以前Arranがカルヴァドス・フィニッシュのカスク・ストレングスを出していたが、これはフレッシュなだけで、奥行きが足りない感じであった。
なお、樽のことをwood、barrel、caskなどというが、barrelというのは広く一般的に「樽」を指し、caskというのは「貯蔵樽」のみを指す。
ちなみに、生ビールの小樽はkegである。今どき、木のビール樽なんてものにはお目にはかかれないが。 |
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第7ホネ
: 「Bourbon」
2004/11/04 |
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最近のモルト・ブームに押されて、バーボンは肩身が狭い。
バーのカウンターでバーボンを飲んでいると、まったくヒップでない人に見える。あまつさえ、頑固親父的な雰囲気すら醸しだしてしまう。
隣の席のヤツが「ハイランドとスペイサイドの個性の違いは・・・」とか薀蓄をのたまっていると、ますます自分が時代遅れのカウボーイに思えてくる。
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そこで、そんな貴方に、今回はバーボンの薀蓄。昔からパンクとヘヴィメタを同時並行で聴いてきた僕としては、モルトもバーボンもどちらもおろそかにはできないのである。(メタリカが好きならミスフィッツも好きでしょ、普通。/スプリングバンクの美味さがわかってノブ・クリークの美味さがわからないはずがない。)
そもそもBourbonという名はフランスのブルボン朝に由来する。
アメリカ独立戦争をルイXVI世が支援したのは有名な話。(自由の女神もフランスからの贈物。)独立を果たしたアメリカ合衆国はフランスに感謝の意を込めて、ケンタッキー州のある郡をBourbon(バーボン)郡と名づけた。現在のバーボン郡そのものではもはやバーボンは製造されていないが、ケンタッキー州の州法によれば、ケンタッキー州で造られたウィスキーでなければバーボンと呼ぶことは許されないそうである。(シャンパーニュのシャンパンやパルマのパルメジャーノ・レッザーノと同様。)
また、連邦アルコール法には、
(1)原料となるトウモロコシが51%以上80%未満。
(2)内側を焦がしたファースト・フィルのホワイトオーク樽で2年以上熟成。
(3)160プルーフ(80度)以下で蒸留。と、いうふうに明記されている。
ということは、バーボン樽には一度しかバーボンを詰められないのである。では、その使い終わった樽をどうするかというと、これらはスコットランドに運ばれてモルト・ウィスキーの熟成に使われる。それを考えると、バーボンなしにはモルトは語れないということにもなる。つまり、カナダのきこりさんたちも、バーボン蒸留所のカウボーイたちも、モルトづくりに命をかけるスコットマンたちも、そして下北沢のバーで酔っ払うウィスキー好きたちも、みんなつながっているのである。
世界とはかくのごとし。
今、バルヴェニーのダブル・ウッドを飲みながらこれを書いている。あたりまえだが、すごく美味い。
このあいだはシェリー樽で十年熟成という芋焼酎を飲んだ。「天使の誘惑」という名前はいただけないが、なかなか美味かった。そう、つながっている。
バーボンに、モルトに、シェリーに、焼酎に、世界中のすべてのスピリッツに乾杯。 |
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第6ホネ
: 「Acquired Flavour」
2004/09/30 |
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英語独特の表現に“Acquired flavour”というのがある。
直訳すると「獲得された味」となるわけだけれど、ニュアンスとしては「一度はまるとクセになる珍味」ということである。
僕は、芋焼酎のにおいを嫌がるイギリス人に“This is an acquired flavour!”と言ってムリヤリ飲ませたことがある。そいつは結局、芋焼酎が大好きになっていた。その味を獲得してしまったのである。
人がどんな音楽を好んでもそれは個人の自由である。同様に、人がどんな味を好んでもそれは個人の自由である。恥を忍んで告白するなら、僕は実はグレープ味のグミが大好きである。ついでに言うならBon
Joviも好きである。ベタな味がいいということもあるのだ。 しかし、やはり“Acquired flavour”というのは大人にしかわからない特権のようなものであって、ギネスをゆっくりと飲んだり、コノワタをつまんだり、パルタガス
セリエD No.4をくゆらせたりするのは、それはそれで至福である。
僕がまだアイラ島の存在すら知らなくて、初めてラフロイグを飲んだときのことをはっきりと覚えている。それは、まるで口の中が桜のチップで燻製されているみたいであった。海辺の学校の理科室にいるような気分すらした。不思議な味である。
そして、二度目にラフロイグを飲んだときのことも覚えている。最初はカルチャー・ショックを受けたあの味と香りが、何か曖昧ではあるが、今度は心地よく僕に訴えかけてくるのである。
そう、その味は獲得されかけているのだ。
僕は家に帰り、インターネットでアイラ島のことを調べた。酒のもうひとつの楽しみ方である。三度目に僕がラフロイグを口にしたときには、大西洋の潮風のイメージと肥沃なピートを含む大地の光景がはっきりと僕の脳裏に浮かんでいた。美味い、と感じたのである。これが至福でなくて何であろうか。
どんな味を好もうと、それは個人の自由である。不味いと思うものをわざわざ口にすることはない。しかし、新しい味にチャレンジすることは新しい世界に足を踏み入れることでもある。だから、僕はいつも新しい酒や、新しい食べ物や、新しい音楽や、新しい人に出会うことをライフワークにしている。
そういうとき、人生というのは捨てたもんじゃないなと、そう思うのである
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第5ホネ
: 「ピンガ」
2004/09/30 |
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ピンガには異名がいっぱいある。
ガラパ・ドイーダ、パラティ、カナ、カニーニャ、ジェリビッタ。
どれも全部ピンガのことだ。でも、ブラジル人はふつうカシャッサと呼ぶ。日系ブラジル人たちが“ピンガ”という呼び名を好んで使っていたので、日本でもそれが定着したようだ。
材料はサトウキビ。ラムの荒いヤツだと思ってもらえればいい。
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十六世紀のブラジルはポルトガルの植民地で、そこには広大なサトウキビのプランテーションがあった。最初、ポルトガル人は先住民のインディオをプランテーションの奴隷にしようとした。しかし、それまで狩猟採集の生活を送ってきたインディオには「労働」という概念が欠落していた。まったく働かないどころか、働くということの意味さえも飲み込めなかったそうだ。(なんか、逆にうらやましい。)そこで、ポルトガル人たちはアフリカから黒人たちを拉致してきて、彼らを奴隷として働かせることにした。
やがてプランテーションで働く黒人奴隷たちは、サトウキビの絞りカスを使って蒸留酒を造り始めた。これがピンガの始まりである。時を経て十八世紀末、ブラジル独立の英雄たる犠牲者Minas
Conspiracyの闘士たちはポルトガル・ワインを断ち、ピンガを好んで飲んだそうである。以来、ブラジル人にとってピンガはまさにspiritであり続けている。
ブラジル人はピンガをショットで飲むことが多いそうだが、日本で最もポピュラーな飲み方は、カイピリーニャだろう。ピンガと氷とライムと砂糖。それをマドラーでぐしゃぐしゃ潰しながら飲む。疲れてるときに効く...ような気がする。
神宮前のコパ東京には、サッカー中継を映す大きなモニターがある。ブラジル人のウェイターたちがテーブルまでやって来て、鉄串に巻きついた牛肉をナイフで削ぎ落としてくれる。もちろん食べ放題だが、思ったよりすぐ腹がいっぱいになってしまう。これに合うのはやっぱりカイピリーニャだった。
そいうえば、このあいだbachibouzoukに徳之島のルリカケスがあって、それに黒糖を入れてダイキリをつくってみようよ、とマスターをそそのかしてみた。(しかも、自分のオーダーしたドリンクじゃなかった。)賢明な読者はもうお気づきと思うが、これはもちろんダイキリじゃなく、カイピリーニャのような味になった。ルリカケスはオーク樽熟成のラム酒ではあるけれど、サトウキビそのものをイメージさせるあたり、ピンガにも通じるのかもしれない。
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第4ホネ
: 「シガリロ」
2004/09/13 |
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禁煙して半年以上経った。
もっとも、厳密な意味では禁煙ではないけれど。というのは、煙草をやめるかわりに、葉巻を吸うことにしたからだ。といっても、自宅で夕食後にくつろぎながら一日一本をくゆらすだけ。「肺に煙を入れないから肺癌にならない!」と喜んでいたら、周りのみんなから「舌癌にはなるよ」と医学的な見解をあっさりと述べられてしまった。まあ、それはそれでしかたがない。
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| Dannemann Special |
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プレーンで自然な甘さのシガリロが好きだ。Henri Wintermans(スモール・シガー)、Cohiba
Club、Dannemann Special、Montecristo
Mini、Panter Mignon。もっと廉価なシガリロでも、Don
EstebanとかKing EdwardとかAl
Capone(コニャック・ディップの方はダメ。プレーンのヤツね。)とかは決して不味くない。日本人で葉巻を吸うのは金持ちばかりだが、ドイツ人やオランダ人は貧乏でも葉巻を吸うのだ。
もちろん、ちゃんとヒューミドールに保管された大きいシガーのほうが美味しいけれど、これは最低一時間まったりとできるときでなければ、火をつける気にはなれない(し、買う金もない)。でも、十分間だけリラックスした自分の時間が欲しいのであれば、シガリロがちょうどいい。
シガリロとモルトとの組み合わせを試すのも楽しい。例えば、ボウモアの12年は単独で味わえば非常にスモーキーでピーティーでウィーディーである。けれど、Dannemann
Specialのようにどっしりした味のシガリロと合わせると、新しい味わいが発見できる。スモーキーな部分はシガーとモルトの共有部分であるから、Dannemann
Specialをくゆらせたその口にボウモアの12年を運ぶと、新たに感じるのは単独で飲んだときには背後に隠れていたシェリーの香りなのである。これはうれしい驚きである。「シガーとモルトは相互補完的」とマイケル・ジャクソン氏も言っていた。(もちろん、子ども好きのアメリカ人じゃなくて、モルト評論家のイギリス人のほうだよ。)
ときに、煙草をやめて葉巻を吸っているので、ジッポを使わなくなってしまった。まさかオイルのにおいをさせて葉巻を楽しむわけにいかない。でも、僕は自分のジッポをすごく気に入っている。三年前の誕生日にもらったやつで、組み木の細工がしてある木のカヴァーのジッポ。禁煙してたったひとつ残念なのは、あのジッポを使う機会がなくなってしまったってこと。
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第3ホネ
: 「Guinness&Kilkenny」
その2 2004/09/01 |
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このあいだ八王子にあるアイリッシュ・パブGalwayでついにギネスとキルケニーのハーフ&ハーフを飲んできた。うまかった。ギネスのコクとキルケニーのキレが同時に味わえる感じ。通の飲み方っぽいとか思ってたのに、この店のメニューには「ハーフ&ハーフ/Guinness&Kilkenny」って普通に書いてあった。
店のマスターは「外人は生の注ぎ方が雑でいけねえ!」とか啖呵をきりながら、器用に丁寧にキルケニーの上にギネスを重ねてくれた。(おそらくギネスのほうが比重が重いので、そのほうがいいぐあいに混ざるのだと思う。
それと、ギネスの泡を上に持ってきたほうがキレイでうまいはずだ。)泡の上にはシャムロックが描かれている。にくい演出である。
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シャムロックってのは三葉のクローバーのこと。四葉じゃだめなのは、これがキリスト教の三位一体(神、キリスト、聖霊)を表しているから。アイルランドの聖人であるセント・パトリックはシャムロックを片手にそうやって教えを説いたそうだ。セント・パトリックの命日である3月17日はセント・パトリックス・デーという祝日で、アイルランドではシャムロックを胸に飾って町を練り歩く。東京でもその日には表参道あたりを緑の服を着た団体がぞろぞろだらだら行進しているのが見られる。(おまえら半分くらい日本人とアメリカ人だろ?!)
そのパブでは二杯目にボディントンズを頼んだ。(この店は他にマーフィーズの生も置いてあって、ちょっと楽しくなる。しかも、サッカーを観るには最高のセットだ!)ついでにフィッシュ&チップスも頼んだ。定番でしょ。僕はイギリスの料理で美味しいと思うものはほとんどないけれど、フィッシュ&チップスだけは大好きだ。
ボディントンズの生は、缶と同じでやっぱりクリーミーだけど、でも缶よりフレッシュでペールな感じがする。ペールっていうかやや味が拡散した感じ。缶のほうが味がつまった感じがする。どっちもそれぞれ美味しい。ボディントンズの缶は玉も入ってることだし、きっとすごい工夫されてあの味を出してるんだと思う。一概に生より味が落ちるとは言えない気がする。
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第2ホネ :
「Guinness&Kilkenny」 その1 2004/08/20 |
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このあいだ新宿のDubliners’で、大学時代のゼミの教授と十年ぶりに酒を飲んだ。
教授は「僕も酒が弱くなりました」とか言いながら、延々とギネスを飲み続けていた。僕は僕でずっとキルケニーを飲んでいた。教授のおごりなので、モルトやアイリッシュ・ウィスキーをがぶがぶ飲むわけにもいかない。キャッシュ・オンの店でおごってもらうと、目の前で金を払われるので余計に気が引けるのだ。
教授(今はほんとはもう名誉教授だけど)は六七歳なのに、びっくりするくらい背筋がまっすぐだ。僕のほうが猫背で年寄りのような気がする。「君も背筋を伸ばすといいよ。いや、でも、そうすると君らしくなくなってしまうかもね。
そのままでいいよ」と教授は言った。 |
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この人は飲んでも顔色ひとつ変えないので、どのくらい酔っているのか判別不能だ。
しばらく昔話をして、最後にアベラワーの10年を一杯ずつ飲んで、それから駅で別れた。
教授は練馬の自宅へと帰ってゆき、僕は下北沢のBachibouzoukに寄った。マスターが「今日は何の帰り?」と訊くので、さっきまで教授と飲んでいた話をすると、「だったら、ギネスとキルケニーのハーフ&ハーフを飲めばよかったのに」と言われた。
教授と僕は三時間以上それぞれギネスとキルケニーを飲み続けていたのに、ハーフ&ハーフなんて思いつきもしなかった。そんな想像力はとても沸かない。ギネスとキルケニーのハーフ&ハーフ! 魅力的だ。通の飲み方っぽい! またひとつお利口さんになってしまった。で、それ以来、ギネスとキルケニーのハーフ&ハーフが頭から離れない。どんな味だろう? はやく飲んでみたい!
翌日、NOVAの先生をしているイギリス人にその話をしてみたところ、”Who invented the way of drinking?
You?”って。イギリス人でも知らないんだ、この飲み方。近いうちに試してみることが、僕の中では決定している。そして、このページがアップされてるときには、それについて書かれているはず。乞うご期待。っていうか、実際、これを読んでいるあなたも飲みたくなったでしょ?
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第1ホネ
: 「ヘミングウェイとフローズン・ダイキリとモヒート」 2004/07/30 |
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フローズン・ダイキリが大好きである。
毎年夏になると、自分の部屋でフローズン・ダイキリをつくる。ジューサー・ミキサーにクラッシュド・アイスとラムとホワイト・キュラソーと砂糖をぶちこんで、ライムをぎゅうって絞る。そんで、ガーッて。たっぷりめにつくってゆっくりと飲む。急ぐとキーンてなるから。キーンて。
でもやっぱり自分でつくったやつより、バーのカウンターで飲むほうがうまい。けれど、「砂糖抜きのフローズン・ダイキリはパパ・ヘミングウェイって言うんだよ」とかうんちくをたれながら注文すると「砂糖抜きますか?」などと訊かれてしまう。「いえ。甘くしてください?」と答える。ほんとは甘いほうが好きなのだ。 |
在りし日のアーネスト・ヘミングウェイは砂糖抜きのフローズン・ダイキリを一日に十数杯も飲んでいたという。ていうか、十数杯も飲むんだったら、そりゃ甘くないほうがいいだろう。 |
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だけど、僕は文豪でも酒豪でもない普通の人なので、一杯の甘いフローズン・ダイキリを美味しく飲んだほうがいい。 ヘミングウェイといえば、モヒートも彼のお気に入りだったらしい。東京でモヒートが普通に飲めるようになったのは今世紀に入ってからだと思う。でも、ヘミングウェイはこの強いカクテルを、東京が焼け野原だった1940年代から毎日ぐびぐびと飲んだくれていたのだ。うらやましい。
でも、モヒートというのは、基本的にはラムにライムとミントをぶちこむだけのカクテルなので、美味しくつくるのには実は微妙な細かい工夫が要る。僕は、某ホテルの中のバーやら、いかにもという感じのカクテル・バーで何度かモヒートを注文してみたが、美味しかったためしがない。「もしかして、モヒートってまずいんじゃん? ヘミングウェイのうそつき」と思ってしまっていた。
だけど、うれしいことに、今年の春先にやっと美味しいモヒートにめぐりあえた。表参道のChardonnay(シャドネイ。シャルドネではない。)で飲んだモヒートがうまかったのだ。ヘミングウェイ、うそつきって言ってごめん。Chardonnayのバーテンさんにモヒートを美味しくつくるコツを確かに聞いたのだけれど、それは忘れてしまった。
また、暑い日にでも、どこかで注文してみようと思う。 |
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